paoblo

主にTwitterに書いてます。@gibberishers

【短編】Gate:真山りかの場合(改稿)

 

Gate:真山りかの場合 

〜もしくはエビ中ファミリーに贈る仮面ライダーウィザード入門編〜

 

 

f:id:gibberishers:20150102050741p:plain

 

 

 

魔法の指輪、ウィザードリング。現代を生きる魔法使いはその輝きを両手に宿し、絶望を希望に変える。

 

 

1.

 

 新しく買ったボールペンはインクが掠れる事やダマになる事もなく、自分の思った事を素早く淀みなく紙の上に残してくれる。しかしその快適な書き味のせいで立ち止まって考える時間が持てなくなり、ページを出来損ないの残骸だけが埋め尽くして行った。

 コンサート当日まで貸し切りになっている会議室には、衣装、小道具、幾つかの撮影機材、数種の画材や文房具、そして彫刻刀等の木工用の道具が所狭しと置かれている

。並べられた事務机の一角で埃避けのビニールを被せられた巨大な未完成のオーナメントを傍目に、真山りかは一人悩んでいた。手帳の空白のページに何度も何度も言葉を書いては傍線やぐちゃぐちゃな線で消す。出来るだけ文字数は少ない方が良いとスタッフに言われていたのに、どうしても出て来る言葉は十文字前後のセンテンスになってしまう。文字数が多ければ必然的に彫られる言葉のサイズは小さくする他無く、そうすれば広い会場の後方では視認出来なくなる。しかし想いを一言に託す事は、想像以上に難しかった。

 携帯電話の時計を見ると時刻は既に午後八時をまわっている。今日はオーナメントに最終的に施すデコレーションの案までは出せた。彫りつける言葉はまた明日中に考える事にして、りかは帰り支度を整えて事務所を出た。

 十二月の冷気が容赦なくマフラーの隙間やコートの裾から入り込んで来る。平日とは言え繁華街の夜は明るく騒がしい。イヤフォンから流れるアニメソングに出来る限り感覚を集中させながらりかは駅までの道を歩く。口元まで巻いたマフラーの中で一緒に囁くようにして歌う。自分の声と音楽が頭の中で混ざり充満し、そうしていると例年より厳しい寒さを少しだけ忘れる事が出来た。帰宅したら寝る準備を整えて、そして眠くなるまでオーナメントに彫りつけるべき言葉を考えるつもりだ。

 普段はなるべく避けている、駅までの近道となる細い裏道に入った直後だった。背後で急に足音が響いた。いや、それは足音と呼ぶには大きすぎた。かなりの音量で聴いていた音楽でもかき消す事が出来ない程だった。まるで何かが高い所から落ちて来たような。

 りかは咄嗟にイヤフォンを耳から外して振り返った。高音だけが漏れ出たアニメソングが耳元で鳴る。ビルに挟まれた薄暗い路地に、繁華街の光を背にして何かが立っていた。

 大きい。高さは優に2m以上はあると思われる。直立した人間の形をしているが、そのシルエットと言うべきか様相と言うべきか、まともな人間のそれでは無かった。りかは何か看板か、それとも巨大な人形かと思った。それは今までの人生の中で一度たりとも見た事が無い、異形の者の姿だった。

 ゆっくりとそのシルエットが動く。

「お前がゲートか。さあ、さっさと絶望してもらおう」

 異形の者が声を発し、こちらに向かって歩き始める。りかは混乱した。これまで感じた事の無い恐怖を覚えた。これは生きている。こちらに向かって歩いて来ている。意志を持っている。近付く程にその姿の奇怪さが解ってくる。青黒い全身に歪な鎧のような物を纏い、身体の所々には爬虫類のような鋭い突起が生え、頭部には白目と黒目の区別が無い、黄色く濁った眼が三つあった。

 こんな物の呼び方をりかは一つしか知らない。"化け物"だ。

 逃げたい。足がすくんで動けない。どうすればいいのかを全く考える事が出来ない。重たい足音が近付き、りかは錯乱する。目の前まで迫った化け物が手を振りかざす。その手には、異様な形をした剣のような物が握られている。りかは自分の身に起こる事を直感した。

 —殺される。

 りかが身構える間もなく、月明かりを不気味に照り返すその剣が振り下ろされようとした瞬間、何かが爆発したような音が響いた。化け物が呻きながら後退する。その身体から煙が上がっている。ただ呆然としているりかと化け物の間に、新たな人影が降りて来た。りかは未だ音楽を鳴らし続けているイヤフォンのコードを握りしめたまま、それを凝視した。ローブのような黒いロングコートの背。その腰元には帯と呼ぶには些か幅が広い銀色の何かが巻き付いている。人影が振り返り、その何かがベルトである事が解る。人の掌を模した大きなバックル。りかはそこから少しずつ視線を上げていく。宝石のような物が付けられたコートの胸元。立てられた短い襟。そして、仮面。コートのそれと同じ、ルビーのような深紅の宝石に包まれた仮面。

「怪我は無いか」

 化け物が発したものとは違う、人間らしい声がした。りかは一瞬、二体目の化け物が現れたのかと怯えたが、その若い男のものと思われる声には、自分を脅かす気は籠っていないように思えた。

 りかが思わず頷くと、仮面の男は安堵したような仕草を見せ、化け物の方に踵を返した。狭い路地にコートの裾がはためく。そしてまたあの爆発音が鳴り響く。どうやら仮面の男は銃のような物を持っており、それで化け物を攻撃しているらしかった。

 りかは銃声が響く度に身を震わせる。化け物の呻き声が硝煙の向こうから聴こえる。

「クソ、指輪の魔法使いウィザードか!」

 それに続く、化け物の叫びを一笑に付すような声。

「待たせたな。さあ、ショータイムだ」

 仮面の男は手にしていた大きな銃を剣のような形に変え、その身体を華麗に翻しながら化け物の身体を斬り付けた。化け物が低い歪んだ声で絶叫する。火花が散り、その度に路地が一瞬光を抱く。

 ・・・魔法使い?

 りかはその言葉を聞き逃さなかった。まさかこの仮面の男が魔法使いだとでも言うのだろうか?三つ眼の化け物だの仮面を被った魔法使いだの、自分の常識の内に無かった物が立て続けに現れ、りかはただ混乱し立ち尽くす他なかった。しかし目の前では魔法使いと呼ばれた仮面の男が銀色の剣で化け物を攻撃し、圧倒している。

「俺は夜道で女の子を襲うような卑怯者が心の底から嫌いでね」

 仮面の男が何かを指に嵌めて、その手をベルトに翳す素振りをした。瞬間、眩い光が辺りを照らし、路地の四方から鎖のような物が飛び出して化け物の身体に巻き付いた。化け物が怯み、その鎖を解こうと身体を大きく動かす。しかし鎖は相当頑丈らしく外れる様子は無い。銃声の群れが三たび鳴り響き、化け物の身体が火花を吹き上げる。

 仮面の男がまた先ほどと同じ動作をする。どうやら指輪を次々と付け替えているらしかった。今度は辺りが真っ赤な光に包まれる。それはまるで美しい炎のような。

「これで終わりだ」

 仮面の男が姿勢を低くした。赤い光が一層強く輝く。地響きが鳴る。—何かが起こる、とりかが身構えた瞬間、鎖で拘束されていた筈の化け物の身体がどろどろと溶け出した。三つ眼の化け物はそのまま地面の中に吸い込まれてしまい、辺りは夜の静けさを休息に取り戻した。

「逃がしたか」

 仮面の男が呟く。

 りかは本当に少しずつ、今の状況を頭の中で整理しようとした。

 私は化け物に襲われ、そして指輪の魔法使いと呼ばれたこの仮面の男に助けられたらしい。常識では到底考えれない光景だった。しかし言い様の無い恐怖は少しの安堵に代わり、そして、数えきれない疑問がりかの頭に沸き始めた。

 りかは思わず口を開く。

「あ、あの、あなた、何なんですか?どういう事、なんですか、これ」

 焦りながら問いかけた。仮面の男が振り向き、こちらに歩き始める。りかは思わず後ずさりする。

「恐がらなくていい。俺はただの魔法使いさ。お前の希望を守りに来たんだ」

 瞬間、黒いロングコートの全身が眩い光を纏ったかと思うと、若い男の姿に変わった。人間だ。二十代前半くらいの。光沢のある生地の薄いライダースジャケットに赤いムラ染めのカットソー。決して地味な格好とは言えない。りかはその一瞬の早変わりのような変貌に驚きながらも、頭の隅で「あっ、イケメン」と思ってしまった自分に呆れる。

「あの、あなたは、人間なんですか?あの化け物は何なんですか?それに、魔法使いなんて、そんな事言われても、わ、解らないっていうか、理解が、あの、何なんですか?」

 りかはそう辿々しく返しながら、もしやと思い周囲を見渡した。路地の入り口、建物の窓、巨大な室外機の影。

 どうした?と青年が訊く。

「これもしかして何かの撮影ですか?映画とか?もしくはドッキリとか?あの、どこのテレビ局さんですか?私、ぜんぜん聴いてないんですけど」

「映画なんかじゃないよ。テレビでもない。それに、一般人にこんな手荒なドッキリを仕掛ける番組があるかい?」

 りかの早口の詰問に青年が苦笑しながら答えた。

「あっ、でも・・・あの、あたし、一般人じゃないです」

「え?」

 驚いた表情の青年に、りかはマフラーを外し、そしてバッグから一枚のCDを取り出した。

「いちおう、これでもアイドルやってるんです。ほら、これ、九人いる中の、左から二番目」

 CDを受け取った青年はジャケットに写ったりかの姿と、目の前のりかの姿を何度も交互に見た。眼を丸くして見比べるその姿にりかは苦笑しながらも、見知らぬ男性に自分がアイドルだと言ってしまった事を後悔し始めていた。これが新手のナンパだったら、事務所からこっぴどく怒られてしまう事は間違い無い。

 

 

2.

 

 翌日、りかはグループのマネージャーである藤井と共に、繁華街から少し離れた所にある面影堂というアンティークショップを訪れた。昨晩のあの青年、操真晴人(そうま・はると)がそこで詳しい事情を説明してくれると言ったのだ。

 店内には応接間のような一角があった。低いテーブルを挟んでソファに座ると、りかの前には晴人が、そしてその隣にはりかと同年代らしき少女が座った。どこかのアイドルグループで見た事があるような、清楚で可愛らしいが何処か影のある少女だった。お互いの簡単な自己紹介の中で、その少女がコヨミという名前で、晴人の助手を務めていると解った。

「操真さん、うちの真山を襲ったって言う奴は何なんですか?あなたは、そしてゲートって一体何なんですか?」

 藤井が晴人に向かって捲し立てる。明らかに苛立っている様子だ。

「マネージャーさん、あんまり焦らないで下さい。とりあえずここにいれば彼女は安心です」

 コヨミがなだめる。

「そんな話はしてない。それに安心っつったって、これから仕事があるんです、すぐに大きいライブだってあるし、やる事はたくさんあるんだ」

 藤井の語気がだんだん強くなって来る。晴人が応える。

「事情は解ります。ですが、りかちゃんの安全が最優先でしょう」

「それはそうだが・・・」

「彼女は必ず、俺が守ります」

 晴人はそう言うと、りか達の疑問にひとつずつ答え始めた。

 先ず昨日の化け物は、ファントムという怪物の一体であり、ある種の人物を襲っているという事。その人物はゲートと呼ばれる、生まれつき他の人間よりも魔力が潜在的に高い存在らしい。魔法使いである晴人は、ファントムの企みを阻止しゲートを守るために日々戦っているのだと語った。

「じゃあ、あたしが、その、ゲートだって言うんですか?」

 りかが問うと、晴人は黙って頷いた。

「ちょっと待ってくれ操真さん、そんな話俺は信じられない、大体なんだ、ファントムとか魔力とか魔法とか」

「信じられないのも無理はありません。ですが現実に、りかちゃんはファントムに襲われてる」

「俺が実際に見た訳じゃない!どうせそんなもん、着ぐるみか特殊メイクだろう?操真さん、あんたが全部やってるんじゃないのか!?そこの女の子も手伝って!!」

 藤井の激昂する様を、晴人とコヨミが強い視線で見つめる。りかは藤井に向かって静かに話す。

「待って藤井さん、あれは着ぐるみなんかじゃなかった。あたし、本当に化け物に襲われたの。だってあの化け物、最後は溶けて消えちゃったんだから」

「消えたって、夜だったんだろう?何か見間違えたんじゃないのか。だから人気の無い道を歩くなって」

 藤井が肩を震わせながら言う。

「違う!あの時はあたしも気が動転してて、ドッキリなんじゃないかって思ったけど、あれは・・・」

「あれは、なんだよ」

「あれは・・・、人間じゃない」

 りかの言葉に、藤井は押し黙った。

 藤井の興奮が治まるのを待ったのか、暫くしてから晴人が口を開いた。

「藤井さん、ちょっと見ててくれ」

 そう言うと晴人はポケットから指輪を一つ取り出し、それを右手の中指に嵌め、ベルトのバックルに翳した。深い橙色をした宝石が埋め込まれた指輪で、竜が輪をくぐるような意匠が施されている。

 その瞬間、指輪とバックルが光りを放ち、晴人の傍に赤い円盤型の光が現れた。藤井が声も出せず驚く中、晴人はその光の中に手を差し入れる。手は魔法陣のような模様を纏ったその光を通り抜けるかと思いきや、まるでそこでぷっつりと切れたように見えなくなり、そして晴人が光から手を引き抜くと、粉砂糖がまぶされたシンプルなドーナツが指先に現れていた。

「嘘だろ・・・」

 藤井が声を漏らす。光の魔法陣が消え、晴人はその何処からともなく現れたドーナツを藤井の眼前に掲げた。

「藤井さん。魔法は実在する。ファントムも、実在する。そしてファントムと戦えるのは、魔法使いだけだ」

 藤井は黙ったままそれを聴いた。そのまま暫くの間無言になり、そして落ち着いた、しかし震えた声で晴人に問いかけた。

「・・・じゃあそのファントムとかいう化け物は、うちの真山を襲って、どうしようって言うんだ」

「ファントムの狙いは、ゲートを絶望させる事。あらゆる手を使ってゲートの希望を打ち砕こうとする」

「それで、それでどうなる。絶望した真山は、どうなるんだ」

 晴人は一呼吸置いてから、藤井の眼を真っすぐに見つめながら答えた。

「絶望したゲートは命を落とす。そして、新たなファントムをその身体から生み出す」

 沈黙。

 藤井は晴人の眼を見たまま動かず、りかも絶句を隠す事が出来なかった。

 あの化け物に襲われて、私が死んで、新しい化け物を生み出してしまう・・・?

 藤井が晴人からりかに眼を移した。りかも何も言えぬまま、藤井の眼を見た。今までに一度も見た事が無い、深い哀しみを湛えた眼だった。それに耐えきれず、りかは視線を逸らす。

「晴人さん、あたしはどうしたらいいんですか・・・?あたしはまだまだやる事があるんです、今のグループで、夢もあるし、やらなきゃいけない事だってあるし・・・・、死にたくなんかないです!」

 りかは思わず声を荒げた。

 晴人は指に嵌めた魔法の指輪をりかに見せ、表情を変えず、いや、少しだけ微笑みながら答えた。

「大丈夫、そのために俺は君の前に現れた。りかちゃんの希望は、絶対に俺が守ってみせる」

 

 

3.

 

 ノートに言葉を書こうとする。自分が化け物に狙われていると解ったせいもあってか、これまで以上に言葉が出て来ない。まだオーナメントに彫りつける言葉を考えられていないのはメンバーの中でりかだけだった。

 りかは席を立ち、すでに言葉を彫り終えている他のメンバーのピースを眺めた。光、夢、トモダチ、家族。そんな言葉達が不器用な形で彫りつけられている。どれもこれも、メンバーの素直な想いの現れだった。

「そんな大きい物、何に使うの」

 会議室の隅でドーナツを頬張っていた晴人が訊いた。

「これはね」とりかは応える。

「二十四日のクリスマスイヴコンサートで使うの。ステージの上の方に飾って、演出

の目玉になるんだよ。こうやって全部をくっつけると・・・ほら、大きなハートになるの」

 りかはピースを机の上で継ぎ合わせた。ふうん、と晴人が呟きながら、オーナメントのピースを一つ手に取る。それはごく軽い木材で出来ており、一辺は丸まっているがもう一辺は切り落とされたように真っすぐになっていたりと不揃いで、一つ一つがバスケットボールより一回り大きいくらいだ。これがパズルのように九個連なり、巨大なハートマークを形作る事になる。

「家族、か。この字は君達が自分で彫ったの?」

「そう。みんな一つ、グループやファンの方への想いを彫りつけてるの。今までで一番大きな会場でやれるコンサートだから・・・。知ってるでしょ?講談ホール。四千人も入るんだよ!」

「へえ、それは凄いな」

「うん、もうチケットもね、売り切れてるの。その感謝も込めて、皆で作ったこれを飾るの」

 晴人がピースを一つ一つ眺めていく。

「メンバー、りかちゃんを入れて九人だったよね。言葉が彫られてる物は、まだ八個しか無いみたいだけど」

 晴人の問いにりかは眼を伏せ、ノートの方を見遣った。

「うん、あたしがね、まだ書けてないの。なんだか迷っちゃって・・・」

 りかのその表情を見て、晴人がもう一度オーナメントのピースを見渡す。

「そうか。確かに、想いを一言で表すのは難しいかもしれない」

「うん・・・。でも、だからってね、テキトウには絶対に済ませたく無いの。ちゃんとあたしの想いを言葉にしたいの」

 りかが「だって、このオーナメントはあたしの・・・」と言いかけた時、会議室の扉が開いた。藤井だった。

「りか、もうレッスン始まるぞ。メンバーも揃ってる」

「解った、すぐ行く」

 仕度を整えるりかを見ながら、晴人が藤井に「俺も見学していいかな」と訊いた。

「ああ、邪魔にはならないようにな。あとレッスンの内容は絶対に口外しないでくれよ」

「勿論」

 藤井とりかに続いて晴人も会議室を出る。二人の背を見ながら、りかはメンバーの事を思った。巡回の時間なのか、青い制服を着た警備員と廊下で擦れ違った。

 

 講談ホールのステージはこれまでコンサートを行なって来た会場とは比べ物にならないくらいに広い。フォーメーションの幅を大きく調整したり、左右だけでなく奥へと広がる客席へのアピール方法を考え直さなければいけなかったりと、これまでのコンサートとは気持ちを入れ替えて挑まなければいけない事柄が多かった。踊り慣れている曲でも新たにホール用のレッスンを重ねなければいけない。本番まではあと数日しかなく、遅くとも前日からは全体を通しで行なう、ゲネプロと呼ばれる本番さながらのリハーサルが始まる。余裕は決して無かった。

 レッスン場の壁一面に設えられた鏡の前で、他のメンバーとの間隔や自分のフリの大きさなどを同時に確認しながら踊る。コレオグラファーの先生から間断なく檄が飛ばされる。しかしその間も、りかはオーナメントに彫りつける言葉についえの考えが止まなかった。早く完成させなければいけない。あのオーナメントはクリスマスイヴコンサートの、重要な象徴になるのだ。

 何曲かのレッスンの後、二十分間の休憩に入った。かなりキツいレッスンの筈だったが、グループ最年少のひなたや仲の良い莉奈が全く身体を休める事無くはしゃぎ回っている。そこに如何にもアイドルらしい天真爛漫さを持った美怜が加わり、レッスン場はまるで保育園の自由時間のようになる。普段ならりかもその輪に入ってただお互いの手を掴んでぐるぐる回ったり等のたわいも無い遊びに興じていたのだが、今はどうしてもそういう気分になる事が出来なかった。

 ふと見ると、晴人はレッスン場の隅で微笑みながら他のメンバーがはしゃぎ回る様を眺めていた。

 もし今ここでファントムが襲って来たらどうしたらいいのだろう。晴人は自分を守ってくれると言ったが、それでもスタッフや、他のメンバーを巻き込んでしまう事に変わりは無い。

「真山、疲れちゃった?」

 りかと同学年の瑞季が傍に来て座った。彼女はこのグループの結成当時から共に活動し続けている旧知の仲だった。

「いや、大丈夫。ちょっと考え事っていうか」

「なにを?」

 瑞季が心配そうに訊く。

「いやっ、別に変な事じゃなくてね?会場が大きいから、あたしはどうやってファンの皆にアピールしようかなー、とか」

 りかは取り繕う。

「そうかー。私もそこは悩んでるかな。でも、あんまり一人で思い詰めないでね、みんなで作っていこうよ」

 瑞季が微笑みながら言う。そこに後ろで騒いでいたメンバー達が駆けて来る。

「真山もほらこれ見てよ!さっきすっごい面白い写メ撮れたんだから!」

 ひなたがまるで子供のような満面の笑みで携帯の画面を見せる。画面にはアイドルとは思えない酷く歪ませた顔で写るなつと彩花、その前でこれまたおかしなポーズを取っている裕乃とあいかの姿が映し出されていた。思わずりかも吹き出す。そうして結局はメンバー全員が大騒ぎを始めた。いつも通りの休憩時間の風景だった。その嬌声の中で、りかは晴人が何処かに電話をかけながらレッスン場を出る所を、視界の端で捉えていた。

 

 

4.

 

 りかは、家族には「コンサートの準備が大詰めで、少しの間事務所の近くに泊まる」と伝え、実際は面影堂のコヨミの部屋に泊まっていた。ファントムから身を隠すにはそれが一番で、また何かあっても同じフロアにいる晴人がすぐに駆け付ける事が出来るからだった。

「あんまり広い部屋じゃなくてごめんね」

 りかのための布団を敷きながらコヨミが言う。

「ううん、なんだか隠れ家みたいで、ドキドキする」

 アンティークショップの二階の居室だからか、部屋の家具は全てお洒落な年代物が誂えられており、古いランプや壁に飾られた絵画が印象的だった。そう言えば日中のコヨミの服装も何処か古い西洋人形を思わせた。

「本当に、今のりかちゃんに取っては隠れ家だけどね」

 コヨミが微笑みながら言い、りかも笑った。自分の運命を自分で笑っているようでもあった。部屋の電気を消したコヨミはベッドに入り、りかも布団で横になった。窓から入って来た月の光が二人の間を柔らかく照らす。掛け時計の針の音が静けさの中で際立ち、窓の外を十二月の風が通り抜けた。

 暫しの沈黙の後、コヨミが「りかちゃん、もう寝た?」と小さく声を掛けた。

 国道を走る車の音が遠くに聴こえる。

「ううん、まだ」

 りかは布団の中から応える。

「晴人から聴いた。クリスマスイヴに、大きなコンサートがあるんでしょ?」

「そう。きっと良いコンサートにしてみせるから、コヨミちゃんも、晴人さんも絶対に見に来てね」

「うん、行くわ。楽しみにしてる」

 お互い横になったまま静かに言葉を交わした。りかからはコヨミの表情は伺い知れないが、ゆっくりとして落ち着いた、優しい声だった。

 りかは躊躇いがちに呟く。

「だから、そのためにも・・・」

「・・・ファントム?」

「うん。あんな化け物に、早くいなくなってもらわないと」

「大丈夫。晴人が絶対にあなたを守るわ」

「うん・・・」

 コヨミの口ぶりを、どこか信じきれない自分がいる事にりかは気付いた。いや、信じきれないというよりは、一方的に守られている状況に寧ろ居所の悪さを感じたのかもしれない。

「コヨミさん、あたし、ゲートなんだよね」

「ええ、そうよ」

「ゲートって、人より魔力が、有るんだよね。それって、晴人さんみたいに魔法が使えるって事?あたしでも、ファントムを倒せるって事?」

「・・・残念だけど違うわ。魔法使いになるには大変な資格が必要なの。ゲートはただ、他の人と比べて少し魔力が高いっていうだけ。普通に暮らしてる分には、他の人と変わりは無いわ」

 コヨミの返答をりかは押し黙る。

「ねえ、りかちゃん」

「なに?」

「家族にはこの事内緒にしてるみたいけど、グループのメンバーには伝えたの?」

 コヨミの問いに、りかは寝返りを打ってベッドから背を向けた。レッスン場ではしゃぐメンバーの姿が思い出される。

「メンバーには、何も言ってない」

「言わなくていいの?」

「言えないよ、こんな事」

「どうして?」

「だって・・・」

 冷たい風が古い窓枠を揺らす。

「あたしね、リーダーって訳じゃないんだけど、グループの最年長だし、絶対に迷惑はかけられないの」

 コヨミが小さく頷く。

「本番までもう時間も無いし、打ち合わせやリハーサルだってもう佳境だから、あたし一人の問題にメンバーを巻き込みたく無いから」

 りかの口調が少しだけ強くなる。

「そう・・・。でも、本当にそれは」

 コヨミはそこで言い淀み、また続けた。

「本当にそれは、りかちゃん一人の問題なの?」

 りかは暫し考えた。しかし布団を耳元まで被り、聴こえない振りをした。

 

 

5.

 

 携帯の画面が光った。まだ寝付けていなかったりかが画面を覗き込むと、藤井から着信が来ていた。時刻は午後十時。こんな時間に藤井やスタッフから電話が来る事は緊急の用があった時だけだった。寝息を立てているコヨミを起こさないようにりかはその電話に出る。面影堂の電波環境のせいか、雑音が混じって藤井の声が少し聴き取りにくい。

「真山か、遅くに悪い。ちょっとコンサートの事で今直ぐ話したい事がある。今、魔法使いの所か?事務所に来れるか、出来れば一人で」

 りかはコヨミの方をもう一度見る。寝返りを打った彼女はまたすぐに寝息を立て始めた。

「うん解った、すぐに行く」

 りかは静かに布団を出て、着替えを済ませると簡単な荷物だけを持ってコヨミの部屋を出た。

 

 事務所の前に着くと、玄関に青い制服を着た警備員が立っていた。

「真山さん、お疲れ様です。会議室で藤井さんがお待ちです」

 警備員はりかに一礼すると、人気の無い事務所の中に入って行った。りかもそれに続く。事務所に呼び出されて、スタッフではなく警備員が待っているのは珍しい事だった。藤井は何か手が離せない作業でもしているのだろうか、だとしたらきっとコンサートについて重要なハプニングがあったに違いない。それも最年長の自分一人が呼ばれるという事は、メンバー全員には直ぐに伝えにくい内容のはずだ。警備員の後に続きながらりかは気が急いた。

「こちらです」

 警備員が扉を開けたのは、自分達がずっと借りているあの会議室だった。室内は照明がつけられておらず、降ろされたブラインドから漏れる月の光に事務机や機材、そして未完成のオーナメントがぼんやりと浮かび上がっていた。

 しかしその中に藤井の姿は無い。

「あれ?藤井さんは、今いないんですか?」

 りかは部屋の中に進み周囲を見渡す。様々な荷物が犇めく中、人影は見た所一つも無い。

 背後で警備員が扉を閉めた。続いて金属がぶつかり合う重い音が聴こえる。扉の鍵が締められた音だ。

「え?」

 思わず振り返る。薄暗い闇の中で、ここまで自分を案内した警備員がドアノブに手をかけたままこちらを見つめていた。次第に、その顔にいやらしい笑みが現れる。口元から下卑た笑い声が漏れ出す。

「申し訳ないが、あの藤井とかいう男には少し眠ってもらったよ。ほら、そこだ」

 警備員が会議室の隅を指差す。その方向に咄嗟に視線を移すと、衣装のかけられたパイプハンガーの影に、藤井の身体が横たわっているのが見えた。

「藤井さん!」

 りかは思わず駆け寄る。

「心配するな、その男はゲートではない。我々ファントムは、ゲートではない人間を殺す事は禁忌とされている」

 藤井の身体に触れると、確かに息はしているようだった。しかし幾ら声をかけても身体を揺すっても藤井が眼を覚ます気配はない。

「・・・ゲートはお前だ、真山りか。そしてお前の心の拠り所は、とうに理解させてもらったぞ」

 警備員の声が歪み始める。藤井から眼を移し振り返ると、警備員の身体が奇妙な色をした霧のようなものに包まれているのが解った。霧の中で徐々に制服のシルエットが消え、それまで人間の顔をしていたものがグロテスクに変容を始めた。

「嘘・・・」

 霧が消えると、眼の前にはあの夜にりかを襲った三つ眼の青黒い化け物が立っていた。

「さあ、今日こそ絶望してもらおう。そして新たなファントムを生み出せ」

 化け物が濁った三つの眼を不気味に輝かせながら、ゆっくりとりかの方に歩を進めた。りかは恐怖に怯え、ひたすらに藤井の身体を揺すった。しかし幾ら名前を呼んでも藤井は起きない。りかは先ほど藤井から来た電話を思い出した。雑音のせいで解らなかったが、あれは藤井の声では無かったのだ。あの声は晴人の事を、その名前ではなく魔法使いと呼んだ。そこで気が付くべきだったのだ。りかは自分の迂闊さを悔やんだ。

 私はファントムにまんまと騙され、たった一人でここに来てしまったのだ。

「そいつには眠ってもらっていると言っただろう」

 りかのすぐ背後でファントムの声が低く響き、振り向くと眼の前に化け物の恐ろしい顔があった。気色の悪い吐息がりかの顔にかかる。りかは思わず身体を強ばらせ眼をつむった。途端、重たい衝撃が首元に起こり、身体が床から離れ、そして落ちた。机や荷物が崩れる音が続く。ファントムが腕でりかを弾き飛ばしたのだ。

 経験した事の無い痛みが右の肩から顎の辺りまでを深くいたぶる。足も痛めているようだ。りかは咄嗟にその痛みの後遺症について思った。どうか浅い怪我で有って欲しい。このせいで踊れなくなるなんて事は絶対に起こらないでほしい。明日もまた長時間のリハーサルがある、本番まで時間が無い。コンサートで自分だけが欠場するなんて事はあってはならない。スタッフに、そしてメンバーに、迷惑をかける訳はいかない。何より集まってくれる四千人のファンを悲しませる事は絶対にしたくない。

 朦朧とする意識の中でそこまで考えて、しかし今はそれよりも自分の命がひたすらに脅かされている事に気付く。ファントムの重い足音が迫る。

 しかし眼の前まで迫った三つ眼の化け物は、りかが床に這いつくばり呻いてる様を眺めると、踵を返して事務机の方へ歩き始めた。

「そこで見ているがいい。お前の希望が、消える瞬間だ」

 まさか、とりかは思った。ファントムが近付いて行く机を見る。そこにはあのオーナメントが置かれていた。メンバーの想いが託された、そして未だりかが言葉を彫りつけられていないせいで未完成のままの、クリスマスイヴコンサートの象徴が。

「嘘、やめて」

 痛みで微かな声しか出ない。ファントムはりかの声に耳を傾ける事なく、オーナメントに迫って行く。その右手に奇怪な光が現れ、やがて剣の姿に変わった。あの夜にりかを斬り付けようとした、あの異様な形の剣だ。

「やめて、お願い、それだけは」

 口を動かす度に走る鈍痛に耐えながらりかは叫ぶ。震える身体を腕の力だけで引きずろうとする。どうしてもあのファントムを止めなければいけない。あのオーナメントだけは、あれだけは、絶対に失いたく無い。

 りかが血走った眼を向ける中で化け物は右手を高く挙げ、無惨にも剣を振り下ろした。木片が割れる音が会議室に響く。ファントムの力のせいなのか、怪しい色の光がそこ現れて火花が散った。事務机が裂け、赤く塗られたオーナメントのピースが粉々になって周囲に弾け飛んだ。

 りかの希望が、目の前で打ち砕かれた。

 心臓が一度、その身体を揺るがす程に不気味に鼓動を打った。

「さあ、お前の希望は潰えた。絶望の中で新たなファントムを生み出すがいい」

 化け物の高笑い。飛び散ったオーナメントの破片。私のせいで完成が遅れ、私のせいで無くなってしまった、皆の象徴。

 自分の鼓動が耳元で聴こえる。鼓膜を石で叩くようだ。息がしにくい。会議室の風景が一層暗くなる。首元の激痛が転移したように全身を襲い始める。声が出ない。怖い。恐ろしい。巨大な不安がやって来る。

 手を見ると紫色に不気味に光る線が走っている。それが枝分かれするようにどんどん広がって行き、自分の身体がひび割れて行くのが解る。目の前にオーナメントの破片が転がっている。家族、と彫られたピースのその破片。りかはそれに手を伸ばす。ひびが大きくなっていく。

 瞬間、破片から火花が散り炎に包まれた。りかの暗い視界の中で、希望が真っ黒い灰になっていく。自分の鼓動が耳元で轟く。息が詰まり、声が出ない。自分の身の内から、強大な悪意が溢れ出て来るのを感じる。身体が強ばる。絶望が身体を押しつぶそうとする。もう自分は自分に戻れない。呼吸が、出来ない。

 くぐもって聴き取りにくい鼓膜が、いつか聴いた激発音を知覚する。会議室の扉が荒々しく開けられる音がする。化け物のそれではない、人間の声が響く。

「りかちゃん!」

 晴人の声。りかは焼け焦げて小さくなっていくオーナメントをただ見つめながらそれをなんとか理解する。

「どうして抜け出したりしたんだ!」

 晴人が怒声を上げる。ファントムがまた高笑いをする。

「指輪の魔法使い、今回ばかりは遅かったな。ゲートの希望は既に灰となった」

 りかを襲う絶望のひびは徐々に全身を覆い始める。そのひびの向こうに、失われたものが透けて見えるような気がした。オーナメントは壊された。コンサートのステージにはもう使えない。夢見ていた、大きな舞台。メンバーがそれに託した想いが灰になってしまった。まだ言葉を彫りつけられていなかったオーナメント。言葉にならず、宙ぶらりんのまま行き場を失ってしまった、大切な想い。二度と戻らない、その希望。

 りかの視界の隅で、晴人が左手の指に指輪を嵌めるのが解った。

「りかちゃん、絶望しちゃ駄目だ。君の希望は、絶対に俺が取り戻す」

 赤い魔法陣が晴人の身体を包んだ。燃え滾る炎のような光を発しながら、晴人があの夜に見た、仮面の魔法使いの姿に変身した。

 疾駆する音、銃声、打撃音、金属と金属が強烈にぶつかり合う音。晴人がウィザードとなってファントムと戦っている事を、徐々に失われ始めたりかの五感が微かに捉えていた。

「邪魔をするな、新たなファントムが生まれるのを指をくわえて見ていろ!」

 ファントムが叫ぶ。晴人は剣の形にした銃を振るい、化け物の身体を斬り付けていく。

「悪いがそういう訳には行かない。俺はゲートの最後の希望だ」

 晴人が指輪をベルトに翳す。ファントムの前に壁のような物が現れ、それに衝突したファントムが大きく体勢を崩す。新たな指輪の光が起こり、会議室の床から鎖が現れ化け物の身体を縛り付けた。

「同じ手は食わないぞ魔法使い!」

「それはこっちも同じさ」

 ファントムがまた液状化を始める。晴人は瞬時に指輪を嵌め替え、青白い光が会議室を満たした。魔法使いの手から吹雪のような突風が起こり、溶け出したファントムの身体を凍らせた。氷が軋む音と共に化け物の呻き声が上がる。

「時間が無いんだ。さっさと決めさせてもらうぞ」

 晴人がまた指輪を嵌め替え、そして一際強い、光る業火が現れた。地響きが鳴る。炎に包まれた晴人の身体が高く跳ね上がり、そして飛び蹴りの体勢でファントムの身体を貫いた。魔法陣を纏った赤い光が絶叫する化け物を包み込み、直後に激しい爆発と共に三つ眼のファントムは煙の中に消滅した。

 晴人がりかの元に駆け寄る。

「・・・晴人さん」

 微かながらりかは声を発する事が出来た。全身を突き刺すような痛みに耐えながら目線を上げると、宝石の仮面を被った魔法使いがすぐ傍に膝をついていた。

「晴人さん、本当にごめんね・・・、あたし、もう、ダメだ・・・」

 晴人はじっとりかを見つめ、首を横に振る。

「誰にも迷惑をかけたくないって思ってたのに、これで、全部おしまいだよ」

 りかを真っすぐに見つめながら、晴人が一つの指輪を取り出す。

「大丈夫だ、りかちゃん。言っただろ、俺は希望を守る魔法使いだ」

 晴人がその指輪を、ひび割れたりかの中指に嵌めた。晴人の仮面と似たデザインが施された橙色の指輪だった。

「約束する。俺が絶対に、君を救い出してみせる」

 指輪を嵌めたりかの手を、晴人がそっとベルトのバックルに引き寄せた。

 指輪が暖かい光を放った。りかの意識が柔らかく薄れ始めた。それは恐怖でも不安でも絶望でもない、安らぎに満ちた気絶だった。りかはその時に思った。私は大丈夫かもしれない。指輪の魔法使いが、晴人が、自分を絶望の縁から救ってくれる。

 その指輪の光は、優しく、静かに、しかし確かに、りかにそう信じさせた。りかは深い安寧に包まれながら、会議室の床に身体を横たわらせ、瞼を閉じた。

 

 

6.

 

 自分の名前を呼ぶ声が聴こえた。その声は強く、何度も何度もりかを呼んでいる。メンバーが自分を呼ぶ時の、真山、という声だ。特に徒名らしい徒名が無いりかの事を、メンバーは親し気に「真山」と名字で呼ぶ。

 続いて、自分に語りかける楽し気な声が聴こえる。

 

 ほら、これ見て、真山!可愛いでしょ!

 真山、一緒にあそぼ

 笑い過ぎだよ真山!

 ねえ真山なに言ってるのぉ

 

 全て聞き慣れたメンバーの声だ。一人一人、誰が発したものかが手に取るように解る。最初は美怜。新しいスマートフォンのカバーを見せびらかしているらしい。次はひなた。また子供みたいな遊びを始めたに違いない。次になつ。自分がおかしな所で笑いを引きずるといつもこうしてツッコまれる。そしてあいか。あいかはりかの発言の間違いや的外れさにいつも厳しい。

 

 真山のそういうとこ、嫌いじゃないよ

 食べないなら、真山の分もらっていい?

 今日は何話そうかー真山

 真山大丈夫?一人で抱え込んだりしてない?

 

 続いて裕乃の声。皆が大騒ぎした後に冷静な一言をくれる。莉奈の声。あんなにスタイルが良いのに食いしん坊。彩花のおっとりした声。帰りの電車が一緒になった時は二人で色々な事を話す。そして、瑞季の声。グループ結成の時からずっと一緒に頑張って来た、いつも自分を心配してくれる、優しい声。

 八人全員の声だった。その声が繰り返しいつまでも、自分に声をかけてくれる。その暖かい声の渦の中に、りかも自分の声を投じる。会話としては成り立っていないかもしれない小さな返答を、一つだけ投げかける。

 

 「ありがとう」

  

 気が付くとりかはベッドの中にいた。そしてそのベッドの周りを、メンバーが囲んでいる。どうやら事務所の仮眠室らしかった。

「真山!」

「眼覚ましたよ!」

「大丈夫?痛いところとか無い?」

「良かった、本当に良かった!」

「解る?みんないるよ?」

 メンバーが口々にりかに声をかける。美怜。ひなた。なつ。あいか。裕乃。莉奈。彩花。瑞季。メンバー全員がそこにいた。それぞれ、心配そうに、嬉しそうに、微笑みながら、半ば呆れたように、涙しながら、りかの事を見つめていた。

「本当に心配したんだからね!」

 ひなたが眼に涙を浮かべながら叫ぶ。

「良かった、眼を覚ましてくれて・・・」

 美怜がしゃがみ込みながら呟く。

「大変な目に遭ってたのに、どうして言ってくれなかったの?」

 なつが真剣な表情で問う。

 メンバーが口々にりかに語りかける。りかはその顔をゆっくり見渡していく。

「ごめんね、どうしても、皆に迷惑かけたくなくて・・・」

 りかがそう呟くと、メンバーの間から藤井が顔を出した。

「気が付いたか、真山」

「藤井さん!」

 りかは思わず身体を起こした。

「藤井さんこそ、無事だったんですね、良かった・・・」

「ああ。彼が助けてくれたよ。な、そうだろ、晴人君」

 藤井が部屋の隅に声をかけた。メンバーの間から、晴人と、そしてコヨミが姿を現した。

「晴人さん・・・」

「気分はどう?」

 晴人が笑みを浮かべる。

「うん、大丈夫みたい」

「それは良かった。りかちゃんはもう、ゲートじゃ無くなった。君を襲ったファントムも、君の中で生まれようとしていた新たなファントムも、俺が倒したから」

 晴人が最後にりかに嵌めた指輪は、晴人がゲートの精神世界に入り込むための指輪だったのだと言う。りかが絶望を覚え、破壊された精神世界から生まれ出ようとしていたファントムを、晴人は消し去ってくれたのだった。

「だから君はもう二度と、ファントムに襲われる事は無い」

 晴人の説明にりかは深い安堵を覚えた。と同時に、あの壊されてしまったオーナメントの事が思い出された。りかはメンバーの方に向き直る。

「みんな、ごめん、イヴのオーナメント、あたしのせいで壊されちゃった・・・」

 あのハートのオーナメントはクリスマスイヴコンサートの象徴であり、メンバー皆の想いが詰まった物だった。それを壊されてしまった事を、メンバーは皆深く悲しむだろうと思ったし、自分がゲートであったばかりに、皆に辛い思いをさせてしまったとりかは思った。

 しかしメンバーは皆、オーナメントが無くなった事を悔やむ素振りを全く見せなかった。

「壊れちゃった物は、仕方ないよ」

 あいかが言う。

「スタッフさんは慌てるかもしれないけど、また、作ろうよ、九人でさ」

 莉奈が言う。

「皆で徹夜しようよ!」

 彩花が言う。

「私も実は、やり直したい所あったし」

 笑いながら裕乃が言う。

 りかは込み上げて来る涙を抑える事が出来なかった。迷惑をかけたく無い、問題に巻き込みたく無いと思っていたメンバーの前で、りかは両手で顔を覆い、嗚咽を上げて泣いた。自分が如何に一人で抱え込みすぎていたか、そのせいでメンバーと一体になれていなかったかを痛感した。

 私の希望は、心の拠り所は、あの不器用なオーナメントだった訳じゃない。ずっとずっと傍にいたメンバーがこそ、本当の希望だったのだ。なんて私は馬鹿だったのだろう。

 そっと、りかの両の肩に掌が置かれた。その両手が背中の方に回り、涙を流し続けるりかの身体を強く抱き締めた。暖かかった。その温もりに、りかは不思議なくらいに安心した。

「一緒に、九人全員で、絶対良いコンサートにしようね」

 瑞季の声だった。すぐ耳元で聴こえた。

 これまでもずっと、りかの傍にいてくれた声だった。自分の悩みや本心を、いつも聴いてくれていた筈の声だった。

 瑞季が続ける。

「それで終わりじゃないよ?皆で一緒に、これからも夢に向かって頑張っていこうね」

 りかは何も言えず、泣きながら、ただただ強く頷いた。瑞季の腕の中で一心に頭を縦に振った。

 瑞季の身体が離れ、りかがそっと目を上げると、メンバーの誰よりも涙を流している彼女の顔がそこにあった。

「これからは・・・隠し事、無しだよ?」

 そう言って瑞季は笑った。りかもなんとかそれに笑い返す。

「うん。ごめんね。・・・ありがとう」

 りかは瑞季の身体を強く抱き締め、瑞季もりかを強く抱き締め、二人は一際大きい声を上げて泣いた。

 

 藤井が部屋の隅に晴人とコヨミを促した。

「晴人君、りかを助けてくれて、本当にありがとう」

 藤井が晴人に深く頭を下げた。

「礼には及ばないよ。これが俺の、魔法使いとしての使命だから」

「メンバーを呼んでくれたのは・・・」

「私よ。晴人がそうしろって言ってくれたの。いつでもりかちゃんの所に集まれるようになって。事情を説明して」

 コヨミが応える。

「そうか・・・。じゃあ晴人君は、真山の希望が、本当はあのオーナメントじゃないと解っていたのか?」

 藤井の問いに晴人は首を振る。

「いや、ファントムに襲われた時点では、確かにりかちゃんの希望はあのオーナメントにあった。だけど暫く彼女の傍にいて、気付いたんだ。彼女の希望の、オーナメントではなく、本当に有るべき所に」

「それが・・・、メンバーか」

「ああ。勿論オーナメントを守れれば一番良かったのかもしれないが、俺が出遅れたばっかりに、オーナメントはファントムに壊されてしまった。しかし、メンバーの存在があれば、きっとりかちゃんの希望をつなぎ止める事が出来ると俺は信じた。だからコヨミに頼んで、こんな夜中に皆に集まってもらったんだ」

「そうだったのか・・・。本当にありがとう、晴人君。りかもきっと、これで立ち直る事が出来るだろう。それどころか、もっとメンバーとの絆を深められたはずだ」

 晴人が頷く。

「二十四日のコンサートは、必ず開催する。素晴らしい物にしてみせる。だから、楽しみにしててくれ」

 藤井が笑って言った。その笑顔を見ながら、晴人も笑って応える。

「ちゃんと俺とコヨミのチケット二枚、忘れずに確保しといてくれよな?」

 晴人がベッドの方を見ると、先ほどまで泣いていたりかが、メンバーと騒がしく談笑している様が見えた。それは本当に心を通わせている仲間と時間を共にする事が出来ている、輝かしい希望に溢れた笑顔だった。

 

 そっと仮眠室を出て、晴人とコヨミは面影堂への帰路を歩いた。

「良かったわね、あんなに素敵なメンバーがいてくれて」

「ああ。あの子は幸せだ。りかちゃんの精神世界に入った時、そこは彼女達メンバーの笑顔で溢れていたよ」

「晴人が魔法で助けようとする前から、本当の希望は、あそこにあったんだ」

 コヨミの言葉に晴人は深く頷く。

「今だって魔法を使えば、あのオーナメントも復元出来たかもしれない。だけどもうその必要は無い。俺はゲートの希望を守る魔法使いだ。だけどゲートの心を救うためには、必ずしも魔法だけが有効な訳じゃないさ」

 

 

7.

 

 広い客席に色とりどりのサイリウムの光が広がっている。ファンの声援が波のようにステージに押し寄せる。それが、ステージで歌い踊るりか達の励みに繋がる。クリスマスイヴの講談ホールは熱気と興奮に包まれていた。

 りかはほんの少しだけ残っていた身体の痛みも忘れ、一心不乱に歌い踊り、ファンに笑顔を振りまいた。するとファンも心から嬉しそうな表情をこちらに向けてくれる。りかは、やはり自分はアイドルを続けていて、この瞬間が一番好きなのだと改めて感じた。目の前にはたくさんのファンが、すぐ傍には信頼出来る仲間達が、ステージ袖には自分達を支えてくれるスタッフがいる。この場所に今いられる事の、例え様の無い幸福。

 踊りながらフォーメーションを変えていく中で、りかは瑞季と目が合った。瑞季はりかに向かって優しく微笑む。りかもそれに笑い返し、今度はその笑顔を客席に向けた。

 二階の関係者席の隅に、晴人とコヨミの姿があった。二人ともとても楽しそうな表情で自分たちのステージを見守ってくれていた。りかは二人の方に向けて、踊りの中で上手く手を振ってみせる。それに気付いてくれたのか、晴人は歯を見せて笑い、コヨミが優しく手を振り返してくれた。二人がいなかったら、今頃私はどうなっていたのだろうか。命を救ってくれた以上の感謝を、りかは感じていた。自分の希望が本当に宿るべき場所。大切なメンバー。これからも一緒に頑張って行く事を誓い合える、かけがえのない仲間。二人はそれを思い出させてくれた。

 そしてりかは再び客席のファン達を見つめる。

 一度は壊れかけたこのクリスマスイヴコンサートから、新たなスタートを切るのだ。私が、いや私達が、ファンに取ってかけがえのない、希望となるために。

 急ごしらえのため些か簡素になってしまったオーナメントがステージの上方で輝いていた。ハート型の一つを形作っているりかのピースには、一際大きく、「希望」と彫られていた。