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【SS】五年ぶりの星名美怜

 

  

 五年ぶりの星名美怜

 

 空港に現れた美怜を見て、そうそうそういやコイツこんなでっかくてピンク色したキャリーケース持って行ってんやっちゃ。と想い出すより前に、おぇーコイツこんな美人やったか?と驚くより前に、先ずなんだよそのコート!と僕は思ってしまった。キャメル色のムートンコートで、襟や袖の辺りなんかにモっコモコしたファーが付いている。身体のラインを沿うように仕立てられている切替え部分にもそれを縁取るようにモっコモコが付いている。ムートンとかファーとか切替えなんて言葉も、大学生の姉が居間に放置していたファッション誌をなんとなく眺めている時に覚えたものだ。だから何よりもそのコートが、そしてそのコートを事も無げに着こなしている美怜の姿が、五年という時間の、僕が感じていた以上の途方も無い長さを僕に思い知らせた気がした。こいつ、昔はもっとシンプルなパーカーとか着てただろー。

「あーっ、ケンちゃん!」

 モっコモコの美怜がキャリーを引いていない方の手を思い切り振り上げながら叫んだ。お、おう。と僕はぎこちなく返しながら、美怜の笑顔のその懐かしさにちょっとグッと来てしまう。要するにそれは全然変わっていないのだった。

「ケンちゃん、やっぱり迎えに来てくれたんだねー」

「ほ、ほやで。久しぶりやんか美怜」

 久しぶりに本人にかける"美怜"という名前。妙に新鮮に感じる、というか、違和感がある、というか、なんというか、気恥ずかしい。 

「健二くん、久しぶり。ありがとうね来てくれて」

「あらぁ健二くん五年ぶりね、ハンサムになったわねぇ」

 と声をかけてくれるのは美怜の両親だ。僕はいえそんな、なんて最近覚え始めた謙遜の言葉を使いながら、これまた急に気恥ずかしくなる。美怜を迎えるためだけに僕は一人で空港まで来て、まるで親公認の恋人みたいだ。美怜とはそんな大それた関係じゃないし、これまでもそんな類いの話はした事が全然無いのに。

 五年ぶりの日本を懐かしむようにゆっくり歩く美怜の両親の後ろから、五年ぶりの再会に何だかぎこちなさを感じてしまう僕と美怜が連れ立って歩く。いやぎこちないと感じているのは僕だけかもしれない、美怜は終止笑顔でイギリスの思い出なんかを早口で僕にまくしたてている。やれ晴れの日が少ないとか、やれご飯はお店を選べばちゃんと美味しいとか、やれ学校ではコーラス部に入ってたくさん友達が出来て嬉しかったとかなんとか。そこまで聴いてあっ友達かと僕は思う。美怜は別に女子校に行っていたわけじゃないし、そのコーラス部が混声なのか女声だけなのかは未だ訊いてないけど、男子の友達だってたくさん出来たはずだ。きっとそれは、遠い国の、要するにイギリスの、目がブルーで、スタイリッシュで、クールでインテリジェンスで、キンパツで、イングリッシュでトークする、僕の知らないカッコいい男子だ。

 美怜、と僕は思わず声をかける。キャリーを引きながら話を遮られた美怜が「えっ?」と言う。しまった、まだこの子はイギリスのド田舎の、スウィンドンとかいう所の丘の話をしている途中だった。しかし遮った事を謝って話を戻してもらう事が僕は出来ない。

「美怜、おめぇ、五年もイギリスにいたやげ、こ、恋のひとつでも、したやろ?」

 恋のひとつでも、というおっさんみたいな言い回しを僕はすぐに後悔してしまう。まるでこの五年の間で、僕がすっかり老けてつまらない存在になってしまったみたいじゃないか。

 美怜は何も気にするそぶりなく、しかも変わらない笑顔をたたえたまま、

「ウフフ、なーいしょ」

 と返す。しかもその「なーいしょ」が妙にリズミカルで、それを言う時に美怜の身体が小躍りというかスキップするように跳ねた気がして、なんというか要するにそれは楽しそうで、僕は急激に背中が凍り付いて、しかもその時美怜の耳たぶに僕の見た事が無い、それはピアスなんだろうかイヤリングなんだろうか小さいハート型のアクセサリーが付いている事に気がついて、多分これはピアスだしもしそうだとしたら美怜はこれを付けるために耳に小さい穴を開けたんだ、そうじゃなきゃピアスは付けられないしイギリスでそれをしたんだ、と思う。改めて僕は僕の知らない美怜の五年間を突きつけられた気になった。

「なんや、言えや、キンパツの彼氏、出来たんか。出来たんやろ、五年もいたら、出来ておかしないもんな」

 そう言う僕の声はもう自分でも嫌になって今直ぐ空港の窓をぶち破っていなくなりたいと思うくらいに震えていた、いやきっと震えていた、と思う。僕は自分でも恥ずかしいくらい動揺している、未だ美怜のイギリスでの恋愛事情なんて何も聴いていないのに。

 僕の恐らく震えていた声を聴いて、美怜はウフフフ、というやっぱり懐かしい笑い方をする。

 あ、美怜だ。

 と僕は改めて思う。ムートンコートやハート型のピアスやそして今気付いたヒールが高くて金色の小さいリボンが付いた靴なんかに包まれていながらも、やっぱりこの子は僕の好きな星名美怜なんだと思った。

「もー、」と美怜が前髪を振って元の整列状態に戻すような仕草をしながら言う。

「できてないよ、そんなの」

 転校してきた時から変わらない標準語で放たれたその言葉を聴いて、僕の心は一気に晴れたような気がした。僕の中のイギリスの曇天が晴れて、日本のそれと変わらない美しく澄んだ陽光が、知らないけどビッグベンとか、テムズ川とか、意外と美味しいレストランとか、スウィンドンの丘なんかを照らし出して、なんだよ結構良い所じゃん、イギリス。なんてわけのわからない感慨を僕に抱かせた。

「ほ、ほうか。お、俺も、なんも出来てへんからな!新しく来たALTの先生もキンパツやったげ、ほやけど、何にも想ってないからな!」

 僕の声はもう推測するまでもなく明らかに震えていた。その震えは心配や不安からでなく、とにかく美怜に教えなきゃいけない、今すぐに僕の五年間を、美怜のいなかった僕の五年間を解ってもらわなきゃいけないという焦りから来ていた。要するに僕は美怜が父親の海外転勤のせいで小学六年の始めにイギリスに旅立った時から変わらず、美怜の事が好きで、それは五年の間も変わらなくて、五年ぶりに逢った今もその気持ちは全く変わっていないという事だった。

 僕の情けない絶叫を聴いた美怜は急に立ち止まって、腰を屈めた。あっもしかしてマズい事言ったかな、僕はいつまでも昔の関係にしがみついて重くてキモくて鬱陶しい奴だと思われたかもしれないな、きっとこの後顔をあげた美怜は僕を泣きながら軽蔑の眼で見るだろうな、と僕は自分でも驚く程のスピードで頭の中で不安を炸裂させたが、気付くと美怜は全身を小刻みに震わせていて、その震えの波がしだいにゆっくりとしかし大きくなっていた。どうやら滅茶苦茶笑っているらしい。そして美怜が顔を上げる。

「もー、変わってないね、ケンちゃん」

 浮かんだ涙を目尻の方に拭いながら美怜が僕を見て言った。

 それを見て、僕は早合点かもしれないけれど、転勤ってなんだよ、イギリスってなんだよ、五年ってなんだよ。と思った。そんなの、別に何の意味もないじゃないか。どれだけ離れたって、どれだけ時間が経ったって、僕達は、僕と美怜の二人は、何にも変わらないじゃないか。いつだって、これまでだって、そしてきっとこれからだって、ずっと何にも変わらずにこうなんじゃないか。シンプルにそう思ってしまった。僕達は別に恋人同士じゃないし、お互いに「好き」なんて言葉は交わした事は無いし、こうしてる今だって、割りとドラマチックなこの空港の状況でだって、自分の気持ちを言葉にして伝える勇気は僕には無い。でもいつかきっと、「好きだ」と言うべき時が来る。改まって、気恥ずかしさや、お互い解り切ってる事なんて全て忘れて、ちゃんと伝えなきゃいけない時が来る。

 だけれど今僕は、今が未だその時じゃない事が嬉しい。要するに、今改めて想いを伝えて、お互いの関係を修復させたり再確認したりアップデートさせたり、そうしなくちゃいけない機会じゃないのが、僕は本当に嬉しい。僕と美怜は変わってない。五年経っても、その間の使う言語が違っても、僕達を見下ろす天気が違っても、美怜がムートンコートやピアスを身につけても、僕が変わらずラングラーのジーンズを履いて実は最近生まれて初めて買った香水(アルマーニだぜ、アルマーニ!)を首筋に付けていても、僕達の間でそれらは何の障害にもならない。

 大丈夫だ。僕達は、大丈夫だ。僕は思わず涙が出そうになって、しかしなんだかそれが情けないようにも思えた。

 美怜に「か、変わったわ!五年も経ったんやで?」と僕はあまのじゃくに言ってみる。そうすると再びキャリーを引きながら歩き始めた美怜が笑いながら言う。

「ぜーんぜん、変わってないよ。気合い入れようとすると、似合わない事する所とかね」

「な、なにがや」

「香水、それ、付けすぎだよ」

 美怜はそう言ってまたウフフフと笑い、スキップしながら空港のロビーを歩いた。

 ・・・やっぱり五年は長いな、と僕は笑いながら、いやちゃんと言うと苦笑しながら思った。香水をどれくらい付けたらいいか、美怜はイギリスでちゃんと覚えたんだ。ムートンコートの着こなしやピアスの選び方も。それでモっコモコになったんだ。僕はそんなこと全然解らない、とにかく動脈なんでしょ?と思ってやたらめったらに噴霧して擦り付けたんだ。やっぱりこの五年間は埋めなきゃいけないけど、でもきっとその作業は楽しいんだろうなと思った。多分少しは嫉妬したりする事もあるかもしれないけれど。

 「もう、カバンくらい、持ってくれもいいんじゃない?」

 と振り返ったモっコモコの美怜がちょっとイジワルそうな顔で言う。

「ほ、ほやな」

 と僕が焦って返す。美怜がキャリーの持ち手を僕に渡しながらウフフと笑った。